初めての自作機とその頃の思い出。

ふと、自分が初めて自作機を作った頃の記憶が蘇った。懐かしさとかいろいろ思い出してきたので、とにかく書き出してみたくなった。

1996年

当時はコンピュータ系の専門学校に通い始めたころ。しかもゲームプログラミングのね。今だとなんで高い金出してもらってそんな学校選んだのよ・・・って突っ込みたくなるけど、なんかもういつの時代も同じでゲームばかりやっていた少年にとってゲーム制作って魅力的なのよね。んで、自分で作りたいけど作り方がわからず*1、学校なら教えてくれるんじゃないかって期待感で学校説明会に参加し、そこでまだ見たこともない機械類をたくさん見て夢がひろがるひろがる*2。そして入学。

当然、教えてもらうことだけで作れるわけではなく、自分でいろいろ努力しなくちゃダメで、自分に言い訳して半年で退学。数年後に、ネットをいろいろ調べて簡単なゲームなら、いや根気次第で大作ゲームやMMORPGなんかも自力で作れることがわかる*3

自分の人生について毎度思うけど、払う授業料が高い。

PC98とPC-AT互換機

前置きが長くなったけど、この1996年に新しいPCが欲しくなり調べていて見つけたのがPC-AT互換機という単語。当時はNECのPC98が全盛期で、買い換えるならPC98だよなって思っていた*4

たしかPC-AT互換機って単語は、ログインって雑誌で見かけたような気がする。いやもううろ覚え。よく読んでいたからこの雑誌かもって程度で。PC-AT互換機は世界標準的な感じで書かれていて、なんかパーツ類の標準規格だとかあんま覚えていないけどいろいろと知らない単語が並んでいた気がする。

で、PC98withWin95にするかPC-AT互換機にするかすっごい迷った。たしか決定打が自作って単語だったと思う。当時の日本はPC98のようにできあいの製品が主流の時代。そんな中でパソコン自作とかしてたら一目おかれるんじゃね?とかそんな不順な動機で選んだと思う。いや、思うというより確実に理由はソレ。まあ、数年後には正しい選択になったから良かったんだけどさ。

その頃の秋葉原

というわけで自作機を取り扱っている店舗を探しまわった。何で調べたんだろうなあ・・・徒歩か雑誌の広告か、そこは思い出せない。もしかしたら雑誌だったかもね。ラジコン販売店みたいな広告があったんだと思うよ。

当時の秋葉原がどんな感じだったのかというと、たしか家電屋さんが多かったんじゃないかなー。ラオックス石丸電気とか。自作パーツ屋さんなんてまったくと言っていいほどなかった記憶。あ、違法コピーの露天商や、ときめきメモリアルのポスターをバッグに挿している人がいた!PC98やX68、コンシューマ機のゲーム屋さんは結構あったかもね。

まだ10代&慣れない土地ってこともあって、秋葉原は不思議な感じがした。初めて秋葉原にやってくる若者たちって、もしかしたらみんなおなじ感覚を味わうのかもね。

自作機の構成

そんなわけで、探して見つけた店舗に行ってみた。いやはや、だいぶ記憶は薄れたけど、不思議な空間だったと思う。もう何にすればいいかまったくわからんわけ。店員に話しかける勇気もないしさ。どういう経緯で注文までいったんだろうなあ・・・見積もりもらって親に掛けあって、親に借金してそんで注文だったと思う。

構成は、

  • CPU: Pentium 133MHz
  • メモリ: 128MB
  • HDD: Western Digitalの1.6GB(なぜかよく覚えている)
  • GPU: これが思い出せない
  • SB: サウンドブラスター16bitとかだったかな
  • マウスとかキーボードとかOSとかCD-ROMとか

だったと思う。総額28万円ぐらいだったはず。20万円ぐらいまでは親に返した。

ちなみに自作機とかいいつつ、お店が組み立ててくれました。今で言うBTOってところ?

よく不調になった

今でこそ調子が悪くなったら、ググって解決方法を探して自分でなんとかしたり、経験上ここだなってところを直したりで事なきを得るわけだけど、当時はインターネットが一般的ではなく、自作機っていうコンテンツが雑誌などのメディアで全然取り上げられていなかったので、いったん不調になったらお店に持っていくしかなかった。

PC持って電車に乗って、はるばる秋葉原の購入店舗に持ち込むわけ。店長さんらしきおじさんがいろいろ教えてくれるんだけどちんぷんかんぷん。で、お店にあずけて直してもらって着払いでPCが手元に戻るって寸法。修理は無料だけど、着払いってところに納得がいかんかったw4〜5回は修理に持ち込んだかなあ。次第に自分でもわかってきて直せるようになってきたけどさ。

国内に情報が十分にない時代に、組み立てや修理ができるお店の方はすごいなあって思う。今も当時も多分凄腕。

話がまとまらない

なんかもう書いているうちにいろいろ懐かしくてしょうがない。主に秋葉原の思い出になっちゃってるけど。

  • 異世界に感じた海外PCゲームを扱うお店
  • 親とMSXのソフト陳列コーナーに行ったらエロゲもあって気まずくなったこと(これは中学生の頃)
  • MSXソフトを売りにいったら、エロゲばっかりあってこれまた親同伴だったから気まずくなったこと(中学生時代)
  • 秋葉原駅前のバスケコート
  • その後バスケコートが立体駐車場になったこと(1996年より数年後ですね多分)
  • ときめきメモリアルのポスター自販機
  • ゲーセンの基板を売っているお店
  • 何度もWin95をクリーンインストール
  • 4台目のラジコン購入(88~89年頃サンダードラゴン、92年頃ベアホーク、94年頃京商のエンジンカーのアルファロメオ、96年セリカGT-FOUR
  • 車の免許とってS63前期型プレリュード購入(中古こみこみ30万円ぐらい)

あの頃は無知だったし、パソコン関連はなにもかも新鮮だったなあって思う。MSXEPSONの98互換機、PC98と所持してきたけど、それでも高校を卒業して都内の専門学校に入学して、秋葉原にちょいちょい出向くようになって目新しさをたくさん感じた。

まとめ

不自由な時代にがんばったと思う。

*1:MSXの投稿ゲームや友達が作るN88-BASICで作られたゲームには触れていたんだけど、どういう仕組みで画面が動くかわからなかったり、どうプログラムするとゲームになるかわからなかったりしたので、それを学校に通って教わろうと思っていた次第。今にして思えばコード読めよと・・・でもそれすらわからなかった

*2:自分が見たのはINDYなんちゃらっていうやつ

*3:人間が作るものだからね

*4:このころ、我が家にはPC9821 As2ってのがありました